「頭が良い」や「優秀」という抽象的な言葉で人を評価しない方がいい

「頭が良い」や「優秀」の定義は人によって違う

あの人は、

頭が良くて優秀

らしいよ。


こう言われると、あなたはその人のことをどう思うだろうか。

ある人は、

仕事ができるんだろうな。

ある人は、

物知りなんだろうな。

さらに他の人は、

高学歴なんだろうな。記憶力が良いんだろうな。勉強できるんだろうな。話が面白いんだろうな。

究極、何でもできるんだろうな。


などと、
人によってイメージする人物像はバラバラになるだろう。

なぜこのようなことになるかというと、それは、「頭が良い」とか、「優秀」という言葉自体がとても抽象的なものであるからだ。

要は、
頭が良いって何?
優秀って何?
全然わからないから具体的に言ってよ。
という話である。


それに比べると、「記憶力が良い」や「英語ができる」というのはとても具体的な評価である。

「あの人は英語ができる」

こう言われると、みんな「あぁ、あの人は英語ができるんだな」と思う。当たり前だ。

しかし、

「あの人は優秀だよ」

と言われても、抽象的過ぎてその人がどんな能力を持っているのか全く分からない。

にも関わらず、頭が良い優秀という言葉は、人への評価としてとても頻繁に使われてしまっている。


そもそも、頭が良いや優秀という言葉は、その人のことを何か表しているようであって、実は全く何も表していない。

人を評価する表現は「事実」であるべき

TOEIC990点の人は、英語ができる

これは正しい。
TOEICというものが、そもそも英語ができる人が高得点を取れるテストだからだ。
(もちろん例外はあると思うが、ほぼ事実であると考えられる)


しかし、

TOEIC990点の人は、優秀である

これは正しくない。
なぜなら、優秀な人のイメージが人によって違うからだ。

TOEICはその人が優秀であるかを測定するテストではない。


これと同様に、

東大卒の人は、優秀である

というのも、正しくない。
何度も言うが、優秀な人のイメージは人によって違うから。


もし事実を基に正確に述べるとすると、

東大卒の人は、東京大学を卒業している

ということだけしか言えない。


これは絶対的な事実である。
もう少し細かく言うと、東京大学の入学試験に受かって卒業もした、ということになる。この事実を基に掘り下げていくことで、「記憶力が良い」などの具体的な評価ができるようになる。

東大卒だから優秀と片付けてしまうのは、事実を何も表していないし、その人を正確に評価することを諦めているだけである。

なぜ事実に基づいた正確な評価が必要か

人は、持っている能力に適した仕事をするときに最も良いパフォーマンスを発揮できる。

理想的には、これを全員が行えば社会全体で生み出す価値を最大化することができる。

このためには、事実に基づいた正確な評価が必要である。


もし、頭が良いや優秀などという何の事実にも基づいていない評価でその人の役割を決めてしまったら、とても大変なことになってしまう。


この人は優秀だから。

と言って、

チームのマネージャにする。

役員にする。

社長にする。

政治家にする。


ルールを作る側の人間を、根拠なく適当に選んでしまっていることになる。

これはとても恐ろしいことである。

その人が困るだけなら全く構わないが、ルールを作る側の人は適当に選んではいけない。作られたルールによって我々全体が影響を受けるからだ。

このようなことがあるため、事実に基づいた正確な評価が必要である。


と偉そうなことを言って来たが、僕自身は優秀とか言われると普通に嬉しいので、そういった評価はオールウェイズ募集中である。