おじさんは生物として最適化されていない

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おじさんって変な人多くない?

これはあくまで私の主観であるが、普段生活していて思うことがある。

それは、日常生活で接する人間の中で、おじさんなど年齢が高い人ほど扱いにくく、コミュニケーションがうまく取れない割合が多い気がする。ということである。

これは、還暦を過ぎた老人のような極端なお年寄りのことを言ってるわけではなく、40歳から上くらいのイメージである。

例えば、仕事相手が若い人だと話がスムーズに進むが、年を取ったベテランだとほぼ100%の確率で煩雑なやり取りが発生し取引が前に進まない。そして、どんどん話が面倒な方向に進んで行く。

学生時代のアルバイトを思い出してもそれは当てはまっている。僕は接客業のバイトをしていたが、理不尽なクレームを言ってくる人はほとんど年寄りで、若い人は皆無だったように思う。

さらに言うと、老害という言葉が象徴しているように、老いている人はどこか変な方向に尖ってしまっている場合が多い気がしている。

(もう一度言っておくが、あくまで主観である)

この現実を説明する仮説

では、なぜおじさんに変な人が多いのか。

何となく経験的にそうなんだ!と言ってしまえばそれまでだが、それでは何の収穫もないので、ここでは3つのポイントを基に仮説を立ててみる。

私の中では、この仮説はかなりしっくり来ている。というか、これがほぼ正解なんじゃないかと思っている。

ポイント1:人類の寿命の推移

ただの雑談の様な内容からいきなり話がぶっ飛んだなコイツ。と思ったかもしれないが、そう困惑せずに2分くらい続きを読んでほしい。

皆さんは、日本人の縄文時代の寿命が何歳か知っているだろうか?

縄文時代といえば、土器を発明し、木の実を加工したものを主食としていたあの時代である。

いや、知らん。と脊髄反射で答えた人にはもう少し聞こう。

では、室町時代の寿命は何歳だと思うだろうか?

第3代将軍の足利義満が金閣寺を建造し、それに負けじと第8代将軍の足利義政が銀色ではない銀閣寺を建造したあの時代である。

え、それはわからんけど60歳くらいちゃう?知らんけど。
いや、医学も進歩してないから40歳くらいか?まあ知らんけど。

ほとんどの人は、こんな感覚だろうと思う。
実際、私も似たような感覚を持っていた。

では、事実をお伝えしよう。

縄文時代の日本人の寿命は、15歳。

そして、室町時代の日本人の寿命も、15歳である。

これは結構、というかかなり衝撃ではないだろうか。
ほとんどの人が、自分がイメージしていた年齢よりはるかに若かったと思う。
というか、まだ子供やん。と思っただろう。

ただ、この15歳というのは、乳幼児死亡率が高かったためであり、5歳まで生き残った者の平均余命は21~23歳とこれより長かった様である。
(参考:鈴木隆雄(1996)「日本人のからだ―健康・身体データ集」、http://honkawa2.sakura.ne.jp/1615.html)

因みに、より詳細な寿命の推移は以下のグラフのようになる。

http://honkawa2.sakura.ne.jp/1615.html

なんとも衝撃であるが、平均寿命が40歳を超えたのはつい最近の話なのである。

これはあくまで日本人の寿命の話だが、縄文時代以前の寿命が地球上の他の地域で大きく(2倍とか3倍とか)変わることも考え辛いので、ここでは昔の人類の寿命は大体10代から長生きしても20代くらいだったとして話を進めていくこととする。

ポイント2:人類が誕生して30万年

そしてさらに遡り、人類(ここではヒト属で現存する唯一の種であるホモ・サピエンスとする)が誕生してからの歴史を考える。

ホモ・サピエンスの誕生は諸説あるが、ここでは30年前として話を進める。(これが10万年前であっても話の結論は変わらないので安心してほしい)

ここで人類の寿命を思い出してほしいが、30年前から縄文時代(約1万年前くらい)までの人類の寿命が、縄文時代の寿命(15歳)とほぼ変わらない(変わったとしても倍や半分ということはないだろう)とする。

そして、グラフに倣って人類の寿命が平均で40歳を超えたのが江戸時代(約400年前)以降だとする。

ここから、人類は誕生してから約30万年の歴史の大部分を、寿命15歳程度で過ごしてきたことがわかる。
一方、寿命40歳を超えた人類の歴史は、全歴史30万年の内のたった400年くらいとなる。これは、約0.1%(1000分の1)程度でしかないのだ。

ポイント3:生物の進化について

ここで、また少し違う話をする。

いきなりであるが、現代進化論において、進化のしくみは以下のように考えられている。

DNAはときどき間違って複製され、その一部が遺伝子として働き、子孫を残す際に表現型の突然変異となって現れる。



そのような突然変異には、ごくまれに、生物が子孫を残す上で有利な変異もある。



そのような変異は、自然淘汰によってその生物集団の中での割合が増えていく。



集団の中のいろいろな変異の割合が変化し、一部の変異は消滅するなどした結果、以前とは異なった性質を持つ生物の集団が新しく生まれる。

これが、現代進化論における進化の基本的なしくみである

(参考:長谷川眞理子『進化とはなんだろうか』岩波ジュニア新書323)

つまり、ある集団が生きている環境で、子孫を残す際にごくまれに起こる変異が長い年月をかけて積み重なり、より環境に適応した新しい集団になる。このことを進化と捉えているのである。

導き出される仮説

さあ、準備は整ったので、3つのポイントから最終的な仮説を導こう。

今の時代を生きている我々は、どのような進化をたどってきた結果なのだろうか。

進化とは、環境への適応(いわば最適化)である。

では、環境とは何だろうか。

ここでは、人類がその寿命で生きていた環境と考えてみる。
すると、

人類の歴史は30万年。
その内、寿命15歳程度で生きていた環境が99%以上。
寿命40歳を超えて生きていた環境は1%以下。

さて、現在の人類(つまり我々)は、どちらの環境で最適化されているだろうか?

私は、圧倒的に前者だと思う。

つまり、我々人類は寿命15歳で最も効率よく繁栄するように最適化された状態で生きているはずである、と考えられる。

もちろん、寿命40歳の歴史(400年程度)も、全く影響がないとは言わない。
しかし、それは寿命15歳の歴史(約30万年)の影響が自然淘汰されるほどのものではないだろうと確信している。

話をおじさんに戻す

話をおじさんに戻そう。

もう結論が出ているようなものだが、この仮説とおじさんがヤバい話とどう関係しているのか。

簡単に言うとこうである。

我々は、寿命15歳程度(~20代くらいは範囲だろう)で最適化されている。

つまり、40歳を超えたおじさんは、そもそも人類として最適化されていない状態なのである。

人類の歴史の99%はおじさんがほとんど存在していなかった訳である。そのため、おじさんくらいの年齢の人類が、どのような能力を持っていれば正解なのか遺伝子的にデータが無いのだ。

ここから論理が飛躍してしまって申し訳ないが、

それゆえ、必然的におじさんには変な人が多いのである。

おじさんが活躍するのは、寿命40歳の人類の歴史が少なくとも数万年続いた後くらいだろう。

追記

後で読み返すと、人口増加の視点が抜けている気がしました。